炎天寺の歴史
当山は平安期の末に創建されたもので、天喜4年(1056)炎天続きの旧暦6月奥州の阿部一族の反乱を鎮圧に従く源頼義、八幡太郎義家父子のひきいる軍勢が野武士と激しく戦いきわめて苦戦となったが、京の石清水の八幡宮に祈念し、ようやく勝利を得ることができた。
そくで寺の隣に八幡宮を建立、地名を六月村と改め、寺名を源氏の白旗(幡)が勝ったので幡勝山、戦勝祈願が成就したので成就院、気候が炎天続きだったので炎天寺と改められたと伝えられる源氏ゆかりの寺で江戸後期の俳人小林一茶がいくつかの名句を残している。
炎天寺山門

炎天寺と一茶まつり
「蝉なくや六月村の炎天寺」
「やせ蛙まけるな一茶是にあり」

という炎天寺や竹の塚にちなむ一茶の句が縁で、昭和37年、38年にそれぞれの句碑が炎天寺境内に建立されて「一茶まつり」が始められた。
 これには、炎天寺の檀徒をはじめ地域の人びとの支援や俳人の協力、熱意があって実行委員会が組織され、毎年11月23日、勤労感謝の日に開催されている。
 一茶に対する文学的評価や個人評伝は多様であるが、農民詩人、生活詩人、童謡詩人としての作品は平易で一般の共感を得ている。特に、童謡詩人としての作品が少年期の情操教育に適するところから、学童の俳句運動に発展し、一茶まつりに併行して全国小中学生俳句大会が行われ、国内及び海外から毎年20万句に及ぶ作品が投句されるまでになった。
 これらの中から入選した数多くの作品は、わが国の文学史上、少年少女の名句として長く後世に伝えられるであろう。

平成3年11月23日
東京都足立区教育委員会
小林一茶 像
一茶の句碑
炎天寺本堂